愛憎相半ばする東京を見つめ続けて中藤 毅彦

インタビュー:2019年4月16日

中藤 毅彦 Takehiko Nakafuji

1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部中退。東京ビジュアルアーツ写真学科卒業。モノクロームの都市スナップショットを中心に作品を発表し続けている。国内の他、東欧、ロシア、キューバ、フランス、米国など世界各地を取材。作家活動と共に、東京都新宿区四谷三丁目にてギャラリー・ニエプスを運営。写真集は『Enter the Mirror』、『Night Crawler』、『Paris』、『STREET RAMBLER』、『White Noise』など多数。第29回東川賞特別作家賞受賞。第24回林忠彦賞受賞。2019年7月8日~7月13日に東京都千代田区神田神保町の檜画廊にてグループ展『令和元年東京』を開催。

スクラップ&ビルドの街

写真家・中藤毅彦氏は、25年にわたって東京を撮り続けています。2018年には、東日本大震災以降の作品をまとめた写真集『White Noise』を発表しました。東京で生まれ育った中藤氏が東京の変化をどのように見てきたのか、強烈な印象を残す作品はどうやって生み出されるのか、お話をうかがいました。

編集委員

今回は、「東京」をテーマにお話をうかがいます。前回のインタビュー(『モノクロで表現したキューバの街』)ではハバナでの撮影についてお聞きしたのですが、海外の都市と東京では被写体としての位置づけが変わってくるのですか。

中藤

自分自身は生まれも育ちも東京です。現在住んでいるのは埼玉県ですが、東京は生活圏であり仕事でかかわる場所でもあるので、ほかの都市を撮るのとは前提がまったく違う気がします。写真を撮り始めた頃から25年くらい撮り続けていて、一番深くかかわっている街ですね。ただ、東京という街がすごく好きかというとそうでもなくて、愛着がある部分とどうしようもないなと思う部分があって、愛憎相半ばするというところがあります。

編集委員

東京という都市の特徴はどんなところにありますか。

中藤

まず言えるのは、古いものを大事にしないことですね。ヨーロッパの都市は、数百年単位で建物を使って街並みを維持しているのですが、東京はぶっ壊しては新しいものを作ることの繰り返しです。関東大震災、空襲、バブル期の地上げなどで古くからの街並みが失われてきました。それで素晴らしい街を作っていればいいんですけれど、作られるものには秩序がなく混沌としています。僕が写真を撮ってきた25年の間にも良いものがどんどん失われてきたし、現在もオリンピックに向けてどんどん失われています。そこは東京の情けない部分というか、あまり好きでない部分です。

その一方で、常に変容するアメーバのようなダイナミズムがあります。そして、海外の都市にはない広がりもあります。新宿や渋谷や池袋のように、それだけで1つの都市と言えるほどの部分がいくつもありながら、千葉や埼玉にまでつながっていく。これほどの要素に満ちた巨大な都市空間は、自分の知る限り東京しかないですね。

小学生の目から見た東京の原風景

編集委員

生まれ育ったのは、どんなところでしたか。

中藤

文京区で育ったのですが、当時はお豆腐屋さんとかコロッケ屋さんとかが並んでいる商店街があって、古き東京が残っていました。すぐ横が後楽園球場だったので非常ににぎやかな場所でもあって、古いものと新しいものが良い具合に混ざっている土地柄でした。

僕が通っていたのは入学試験がある小学校だったんですけど、そこに行ったことは自分の中では結構大きなことでした。その学校には東京中のいろんなところから同級生が電車に乗って通ってくるんです。そうすると、友達の家に遊びに行くときも、電車に乗って、それまで見たことのない場所に行くことになります。

編集委員

それは高学年になってからですか。

中藤

いや、低学年の頃からですね。十条の友達のところにはよく行きました。電車で池袋まで出て、そこから今の埼京線、当時の赤羽線に乗っていく。今も十条は商店街がにぎやかで良いところですけど、当時も面白かったですね。ツッパリのヤンキーたちがすごい学ランを着て電車に乗っていました。ほかにも戦前に建てられた同潤会アパートに住んでいる友達の家に遊びに行ってアパートの庭で遊んだり、浅草に住んでいる友達もいたので自転車で上野に行って一緒に走り回ったりとか…。今考えると、東京に残されていた古い街並みをずいぶん小さいときにあちこちで体験していて、その原体験は今の写真に反映されていると思います。

新宿には1960年代の文化の香りが残っていた

編集委員

東京の写真を撮り始めたのはいつ頃ですか。

中藤

大学時代ですね。大学は途中で辞めてしまったんですけど、大学の写真部に在籍しているときに東京の写真を撮り始めました。写真集や写真雑誌を見て、ストリートスナップというスタイルがあることも認識しました。でも、その頃、自分はストリートスナップで行くぞ、というまでの意識はなかったですね。

編集委員

特に好きだった街はありますか。

中藤

新宿は好きでした。昔の文化の残り香のようなものがあった気がするんですよね。ゴールデン街に足を踏み入れると60年代の雰囲気が感じられる部分があったり、歌舞伎町に入るとちょっとヤバそうな人がいっぱい歩いていたり…。思い出横丁の古い飲み屋街にも昔の空気が残っていましたね。その一方で、すぐそばには新宿西口の高層ビル街がある。新旧入り混じって、1つの宇宙を形作っているような気がしました。

編集委員

その頃の写真が、現在の原型と言えるのですか。

中藤

原型であるし、現在につながっていると思います。初めての大きな発表は『NIGHT CRAWLER-虚構の都市への彷徨』というタイトルの個展でした。それは、もう全部が東京の夜の写真でした。自分は夜の世界の住人というわけではないのですが、夜の街の魅惑、危険で怪しい感じ、そういったものを自分なりに撮った写真でした。

編集委員

夜になると、普段見えないものが見えてくるところがありますか。

中藤

そうですね。前に僕の尊敬する写真家とお話したときに、「終電の後、始発までが大事な時間なんだ」とおっしゃっていました。その方の写真集には、たしかにそういう時間が濃厚に写っている。やっぱり僕も、終電の後、始発まで写真を撮ったりしていますね。全く同じ場所なのに、時間帯が変わることで見えてくる光景が変わる。都市には昼と夜の二面性があって、夜を見ないと全貌は見えてこないと思いますね。

表面的な活気の裏に潜む不気味さ

編集委員

昨年、写真集『White Noise』を刊行されています。今回、このウェブページの『Photo Gallery』でも、この写真集に収録された作品をたくさん公開していただいています。この写真集を編んだ経緯を教えてください。

中藤

東日本大震災のときに仕事で東北に行きました。東京に戻ると、節電のため街は暗くなり、人々がマスクをして暗い顔をして電車に乗っていました。そのときに、ピークを越えた日本が震災という象徴的な出来事に見舞われて、そこから沈み込んでいくような不気味な恐怖を覚えたんです。ちょうど『Night Crawler』という写真集を出した直後だったんですけど、そこを起点にしてそれ以降の東京を撮らなきゃいけないという気になりました。

編集委員

震災を経て、東京の見え方が変わりましたか。

中藤

表面的には東京にはまだ活気があって変容を続けているのですが、そこに感じるエネルギーの質は、例えばバブルのイケイケの時代からは全く変わっているような感覚があります。今は2020年のオリンピックに向けてお祭り騒ぎのような面もあるし、渋谷の再開発などを見ていると毎日のように風景が変わっている。それでも、過去に勢いよく進んできたものとは違って、空虚な感じがするんです。

普段は見えない街の表情を顕在化させる

編集委員

『White Noise』の作品はモノクロだけでなく、不思議な色合いのカラー作品が含まれていますね。

中藤

僕の作品は90%がモノクロなんですけれど、この東京のシリーズに関してはカラー作品を混ぜて、広がりを持たせようと思っています。ただ、普通のカラー写真だと、ちょっとモノクロに負けてしまうところがある。現実そのままの記録ではなくて、イメージを強めたものが混ざるといいかなと思って、(オリンパスのカメラの)ドラマチックトーンというアートフィルターを使っています。これはある意味、エグいフィルターなんですけど、それが極端な部分を表現するのに合っていたんですよね。現実を強調して作り物のようにしているんですけど、同時に東京ってこういう感じだよなっていう部分もあります。

編集委員

雨の作品も多いですね。

中藤

悪天候という条件は、写真を撮るには結構大変ですが、普段見慣れた街とは違うものが見られます。雨の夜は、車のヘッドライトの光が水たまりに乱反射して光が増える。雪になると、見慣れた東京の街がガラッと変わって、どことも分からないような白い雪景色になる。だから、雪が降るとほかの用事は打っちゃって、写真を撮りに行ったりもします。

編集委員

ほかにも、普段目にしないような変わったものがたくさん写されています。

中藤

街には変なものがいろいろありますよ。ただ通り過ぎればどうということもないですが、カメラを持って歩いていると、いろいろなものが見えてきます。青いクジラみたいなのが描かれた壁画が突如現れたり、一晩にして消えたりする。運搬のためにくるまれたマネキンとか、風化していく映画ポスターとか、なんだかよく分からないオブジェとか、奇妙なものにたくさん出合います。

編集委員

7月には写真展が開催されるということですが、どのような内容になりますか。

中藤

これは自分が発案したグループ展で、タイトルは『令和元年東京』。令和に撮った写真だけで構成します。元号は名前が変わるだけとも言えるんですけれど、確実に1つの区切りではあるので、そこから撮り始めようと思っています。きっと、令和を撮る最短最速の企画ですね。10人くらいメンバーがいるのですが、2か月ちょっとで本当にみんな撮れるのかなっていう問題がある(笑)。僕自身もどういうものを撮るか、まだ分からないですね。まずは歩いてみることだと思っています。

文:岡野 幸治