台北賓館で当時の人々に思いを馳せる 山岸 伸

インタビュー:2020年03月13日

山岸 伸 Shin Yamagishi

タレント、アイドル、俳優、女優などのポートレート撮影を中心に活躍。出版された写真集は400冊を超える。ほかにも、ばんえい競馬、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、靖國の桜、球体関節人形、台湾の龍山寺など幅広く撮影する。企業人、政治家、スポーツ選手などの男性を撮り、オリンパスギャラリーで発表している『瞬間の顔』シリーズでは、延べ800組以上の男性を撮影。

思いがけない誘いから撮影が始まった

台北賓館は、日本が台湾を統治していた時代に台湾総督の官邸として建てられました。1901年に竣工。1911~1913年にかけて改築され、現在も迎賓館として利用されています。ここ数年にわたって山岸伸氏はこの台北賓館を撮影してきました。作品を見せていただきながら、台北賓館のどこにひかれたのか、撮影テーマを決める際に考えることなどについて、お話を伺いました。

編集委員

まずは、台北賓館を撮ることになったきっかけを教えてください。

山岸

もう何年も前になるけど、事務所のみんなを連れて台湾に社員旅行に行ったんですよ。そのときに台湾の人たちの信仰深さにひかれて、龍山寺というお寺を撮るようになった(「台湾のお寺で人々の真剣な祈りを写す」を参照)。その初めての撮影が終わって日本に帰ってきたときに、関西のある方に「今度行くときには台湾政府の方を紹介するから」と言われて、次に撮影に行ったときに外交部を訪ねました。そしたら、お会いしたのがすごくえらい方で飯でも食おうと。次の日も呼ばれて行ってみたら、「目の前にいいものがあるから撮ったらいいよ。普通は撮れないけど、あなたに撮らせてあげるから」と言うんです。

外交部から見たら、古びた塀の向こうに何か建物がある。だけど、塀は高いし木もあるから、最初はどんな建物かよく分からなかった。それで、職員に連れていってもらって中に入ってみたら、すごい建物なんでびっくりしました。それでぜひ撮りたいって言ったら、じゃあ明日ここで撮らせてあげるからという話になったんです。

日本家屋と台湾最大の日本庭園

編集委員

台北賓館は、敷地内にバロック風の洋館と日本建築の和館があるのが面白いですね。

山岸

最初、洋館のベランダに出たら、下に日本家屋の瓦屋根が見えました。それで、これは何ですかと聞いたら、もともと総督は洋館で暮らしていたのが、のちに和館ができてからはこちらで生活をするようになったと。洋館と和館は、トンネルのような渡り廊下でつながっています。洋館から進んで扉を開けると、いきなりコンクリートから木になる。日本庭園は、今台湾にある中で最大の日本庭園だそうです。台北賓館は月1回一般に公開されているけれど、この和館には入れない。というのは、シロアリにだいぶやられていて、大人数で入ると床が抜ける心配があるから。だから、僕がここを見たいと言ったら、館長は困ってましたよ。だって、壊れたら直すの大変じゃないですか。だけど、まああなたならいいよと言ってくれた。2回目からは彼らは付いてこないで、自由にどうぞということになりましたね。

東京駅を思わせるバロック風の洋館

編集委員

洋館は、堂々たる建築ですね。1913年に完了した改築は、東京駅の設計で知られる辰野金吾の弟子にあたる森山松之助が手掛けたそうですね。

山岸

これを見ると、もう感動しますよ。この間、その話を辰野金吾さんのご親族にしたら、一度写真を見せて、という話になった。東京駅に詳しい写真家の佐々木直樹さんに写真を見せたら、ほとんど東京駅ですね、みたいな話になった。

編集委員

室内は重厚な作りですね。

山岸

17の部屋すべてに暖炉があります。デザインも全部違うし、素材も石とか鉄とかいろいろある。なんで台湾に暖炉があるんだろうと思ったら、昔は寒くて雪が降ることもあったというんです。暖炉のタイルは海外で作ったものを持ってきている。こういうもの1つ1つに半端ない価値があるんじゃないかなと思います。

編集委員

これは急な階段ですね。

山岸

船のらせん階段が付けてあって、ここから3階に行けるんですよ。

昭和天皇が皇太子だった時代に台湾を訪れて、そこからベランダに出られた。そして、集まった台湾の人々に手をお振りになったというんです。僕は歴史を勉強しているわけではないんだけど、その空間に行くと、その情景がよみがえってくるような気がするね。

最後に撮影したかった理由

編集委員

これまでに何回くらい撮影されたのですか。

山岸

合計で10回ぐらい行ったのかな。僕が自分で運がいいと思うのは、最後のつもりで昨年12月に撮影に行ったら、仲良くなった館長さんが定年退職するときだった。今までみたいに自由に撮らせてもらうのは難しくなりそうだから、ここを撮り終えるのにちょうどいいタイミングだった。そのとき撮影に行ったのは、ちょっと撮り残したというか、どうしても気になるものが1点あったんです。(写真を見ながら)これなんですよ。この箱が何なのか、なぜここに鎮座しているのかが分からない。ちっちゃなもので、富士山とか京都とかの彫刻が細かく施されている。両側が開けられるようになっているので開けてみたら、下が鏡なんです。その鏡を見たら、上の天井部分に変なものがある。よく見ると一面が装飾されていて、たくさんの鳥が描かれているんですよ。僕は鳥が嫌いだからもう気持ち悪くて、だけどそこにひき付けられたりもしてね。最初は子どもを入れる棺かなと思ったんだけど。

編集委員

担ぎ上げられるようなものですか。

山岸

いやいや、とんでもない。重いから。だから、死んだ子どもをお葬式までここに安置したのかなとも考えたけど、それも違いそうだし。結局、館長さんも何か分からないし、学芸員も分からない。ただの物入じゃないことは確かなんですけどね。

5年先、10年先を見ないで文化は作れない

編集委員

今振り返って、これだけ熱心に台北賓館を撮影されたのはなぜですか。

山岸

いろいろ調べたんだけど、台北賓館の写真はあまりないんだよね。台湾で出版されているものを見ても、塀の外と外観とあと少ししかない。館長さんに聞くと、日本人では建築写真家の方が来て外観を撮っていったけど、建物の中を撮った人はいないと。簡単には撮れない、撮らせないというところに魅力を感じている。やっぱりみんなが撮れないものを撮りたいよね。

編集委員

テーマを決めると撮影が長期間にわたることが多いですね。

山岸

やっぱりね、先を見ないでモノをやっちゃ駄目だと思う。5年先、10年先を見ないで文化を作ろうっていったって無理だから。僕がばんえい競馬や(男性ポートレートの)『瞬間の顔』を10年一区切りと考えて撮っているのは、10年たってやっと形になるから。今回だって、10年撮れる、あるいは10年たったときに見られるようにと考えて、1つのものにこだわっている。ここ数年、台湾に行っても龍山寺と台北賓館とホテルをタクシーで移動するだけで、ほかのところには行ったことがないんですよ。外交部からはほかのところにも行ったらどうかって資料をいっぱいもらっている。だけど、1つの形ができるまではよそのものは見ないですね。

日本を動かす人々を撮り続けてきた『瞬間の顔』

編集委員

各界で活躍する男性を写した写真展『瞬間の顔』も今回で12回目。トータルで1000人の撮影という数字が現実になりつつありますね。

山岸

僕が『瞬間の顔』を撮りだして、ほかでも男性ばっかりを撮る企画が出てきたけど、撮影した人が1000人近くになってきたら、もう追いつかないですよ。仮に追いついたとしても、結局は僕が撮った人ばかり撮ることになる。そういう意味では撮り続けられるものをテーマにするのは大事だよね。もう1つは自分でハードルを上げていくこと。簡単に撮れるものはみんな撮るんだから。今はカメラが本当によく写るようになった。僕らが撮り始めたころよりもみんなはるかにいいカメラを使っている。写真もみんな上手になったし、レタッチとかもうまい。だからこそ、テーマとして何を見つけるかが大事になる。自分だけができるものをやっていかないと難しいかなって思う。

編集委員

今回も、そうそうたる顔ぶれが登場しますね。

山岸

この『瞬間の顔』に出てくれる方々はすごいなと、自分でも思いますよ。日々のニュースを見ていても、『瞬間の顔』に出てくれた人たちが日本を動かしているのだと分かる。世の中の見え方が変わってくるよね。撮らせてもらう人とは一期一会だから、別にコネは太くならないよ。だけど、トップの人たちのユニークな人柄に触れたり、人と人とのつながりを知ったりできるのは、すごいことだと思います。

文:岡野 幸治

写真撮影:近井 沙妃