歴史の検証に堪える記録を残す 山岸 伸

インタビュー:2015年11月13日

山岸 伸 Shin Yamagishi

俳優・アイドル・スポーツ選手・政治家などのポートレート撮影を中心に活躍。1年5カ月にわたって京都の上賀茂神社を撮影し、平成28年(2016年)1月22日~30日にオリンパスギャラリー東京、同年2月5日~18日にオリンパスギャラリー大阪で写真展『世界文化遺産 賀茂別雷神社(上賀茂神社)第四十二回式年遷宮 正遷宮迄の道』を開催する。各界の男性を撮り続けた『瞬間の顔』の写真展は、今年8回目を迎える。10年間撮り続けたばんえい競馬は、春に写真集を出版予定。

延べ32日間で撮影点数は3万枚を超えた

カメラマン・山岸 伸氏は、1年5カ月にわたって京都の上賀茂神社を撮り続けてきました。その撮影が10月に執り行われた「第四十二回式年遷宮 正遷宮」で一つの区切りを迎えました[※]。21年に一度の大きな神事に向かう1年あまりを撮り続けるなかでどんなことを感じたのか、1月に開かれる写真展ではどんなことを伝えるのか、お話を伺いました。

編集委員

昨年9月のインタビューでは、上賀茂神社を撮影することになったきっかけなどを伺いました。そのときは、4回目の撮影が終わったということでしたが、その後どのくらい東京から京都まで通われたのですか。

山岸

撮影日数でいうと、32日間ですね。撮影点数は3万点を超えています。昨年5月に初めて伺い、そして昨年6月の仮遷宮から今年10月の正遷宮までを撮っているわけですが、その間には国宝の修復だけでなく、葵祭をはじめとする祭事やさまざまな神事がありました。1回行くと、2泊とか3泊して朝から夜まで撮りまくるから、どうしてもそのくらいの枚数になりますね。

編集委員

もう写真展の準備もかなり進んでいるのですか。

山岸

僕はいつも「写真は撮るだけでなくて、選ぶことが大切ですよ」と言っているのですが、今回写真を選ぶのに1カ月くらいかかっていますね。写真展では45点くらいにまとめようと思っているので、皆さんにお見せできない写真のほうがはるかに多いわけです。最初はプリンターで150枚くらい印刷して、そこから80枚くらいをテストプリントして、それをスタジオに敷き詰めて選んでいます。

前回の写真展では、檜皮葺(ひわだぶき)屋根の修復作業はお見せしていませんでしたが、今回はプリントしてお見せしようかなと考えています。ただ、あまりにスケールが大きすぎて、撮ったものを全部は見せられないですね。屋根の葺き替えは1回おきですが、42年に1回の修復作業を1枚とか2枚では表現できないですよね。だから、文字である程度きっちりした説明を入れていかなければならないなと考えています。

上賀茂神社(正式名称:賀茂別雷神社)では、21年ごとに式年遷宮を行い、本殿を修復したり屋根を葺き替えたりしている。その際、まず仮遷宮を行って、本殿から権殿にご神霊を遷し、本殿の修復後に正遷宮を執り行ってご神霊を本殿にお戻ししている。

空を仰いで神に祈った正遷宮の撮影

編集委員

神様を権殿から本殿にお戻しする正遷宮は、長期にわたる撮影のクライマックスだったのではないかと思いますが、どんな撮影になりましたか。

山岸

撮影では、僕は特別な場所をもらいました。報道関係は新聞社もテレビもすべて抽選で場所が決まっているのですが、そことは違う一番近いところで、神社の方がここがベストポジションではないかと。だけど、難しいところもありました。正遷宮は、歩く音も聞こえないぐらいの静寂のなかで行われました。しーんとして、後ろで雅楽が小さく流れているだけ。僕だけほかの方とは場所が離れているので、動くと目立ってしまいます。立つこともできなくて、ずっとしゃがんでいる。少しでも動くと、敷き詰められている石の音がすごいんです。

いよいよ神様が権殿から本殿に遷るとき、いきなり灯りが落ちました。月はなくて、真っ暗です。カメラの液晶は暗闇のなかだとかなり明るいから、すぐにカッパをかぶって、ピントは無限大。バルブにしてシャッターは自分の感覚で押すしかなかった。ここまで真っ暗になるとは思っていなかったので、ショックでしたね。「何とか写ってくれ」と空を見上げました。本当に初めてですよ、写ってくれと神に祈ったのは。

仮遷宮のときもそうだったのですが、僕は明るいものは明るく、暗いものは暗く写したい。だから、感度もあまり高くはしませんでした。ファインダーをのぞいて見えないものが明るく写っては駄目なんですよ。結局、そのシーンは2枚だけ写っていました。

でもね、こうして見ると、いい写真ですよね。この1枚が撮りたくて通ったわけではないし、僕にとってこの1枚がそんなに大切かというとそれはちょっと違うんだけど、この1枚があると思うから、1年5カ月通ったというところはありますからね。

神事や祭事を写真で記録することの意味

編集委員

この1年5カ月、どんなことを考えながら撮影されていたのですか。

山岸

最初の頃、上賀茂神社の何を写すか、すごく迷ったんですよ。アートフィルターを使ったり、アングルを変えたり、いろいろテクニックを使ったりもしたけれど、最終的にはこの歴史ある神社を記録しなきゃいけないというふうに変わってきたんです。メインの被写体にピントが合って後ろがきれいにぼけていればいいとか、カメラに細工してテクニックで見せるとか、そういうことはやめようと。そうではなくて、そこで行われている神事や祭事をちゃんと撮るというのが、僕が最終的に見つけたテーマでした。それは報道ではないし、たんなる記録ということでもなくて、やっぱりそこにはカメラマンとしての自分の感性っていうものはあるのですが。

編集委員

後世からの評価に堪えるものを残す、という視点になるわけですか。

山岸

上賀茂神社の宮司さま、何代目だと思いますか。204代ですよ。ものすごい歴史です。僕は、上賀茂神社を撮らせていただている間、知らないことが本当に多くて、もっと勉強しなくちゃ駄目だと思ったのですが、神社で働いている人たちも、たぶん分からないことがいっぱいあると思うんです。だって、何千年の歴史だから。そんな昔のことは十分な記録が残っていないでしょう。僕が撮った上賀茂神社の写真はこれからの歴史に残せるし、神職の方々に伝えることもできます。

だから、写真展でみんなに見てもらうことは大きな柱なんだけど、撮っているうちにそういうものを神社に残しておきたいという気持ちになりました。写真を神社に奉納して、そのデータを神社が保管してくれれば、21年後の正遷宮のときもそのときの神職の方たちに見てもらうことができますから。

神社の撮影であっても人物は外さない

編集委員

まったく新しい被写体に取り組むのは、難しいことではなかったですか。

山岸

そんなことはないですよ。僕、今回の写真でも人物は外していないですから。やっぱり、すべては人です。風景だけの写真なんて、ほとんどないですよ。神社の後ろにある神山(こうやま)という山とか、境内を流れる川とか、葵の葉とかは撮っているけど、そんなものですよ。だからなのか、神社の広報の方は、「先生、やっぱり皆さんが撮る上賀茂神社とは写真が違いますね」とよく言いますね。

編集委員

神社の方々との信頼関係をどのようにして築いていったのですか。

山岸

特別なことはないです。だいたい僕は人見知りで、インタビューでは饒舌だけど、こういうところに撮影に行ったらほとんどしゃべりません。だって、撮ったもので分かるじゃないですか。印刷物になって撮影者の名前付きで世に出ていくというのは、やっぱり大変なことなんです。部数が多いとか少ないとかは関係なくね。だから、僕らは常にそっちに向かって仕事をしています。

ただ、こういうことは考えています。写真を撮るときは参拝の方が並んでいる前で、僕らだけおはらいを受けて、なかに入れていただくのですが、そのときに「自分は特別に入れてもらっているんだ」という気持ちは持たないようにしようと。そこに並んでお祈りしている人たちと同じような気持ちでいないといけない。そうしないとちゃんとした写真は撮れないんじゃないかと思います。

澄み切った空気のなかで写真を撮る幸せ

編集委員

これだけ集中して京都に通われた原動力はなんだったのでしょうか。

山岸

僕はせっかちなカメラマンなので、常になにかしていないと納得いかないんですよ(笑)。祭事のスケジュールは分かっているので、最低2日間の空きがあればお伺いを立てて、助手と一緒に車で京都に向かう。だけど、どのくらいのお金を使ったんだろう。1年ほどパリにでもいられるくらいだよね。

だけど、別に元を取ろうとか、後世に名を残そうとか、そんな大それたことは思っていませんから。自分がカメラマンとしてそこにいられて、写真が撮れただけで僕は幸せだったし、誰もいない神社の空気を吸っているだけで嫌なことも忘れちゃうくらいだったし。

編集委員

これで上賀茂神社の撮影は完全に終わりになりますか。

山岸

いや、やめるということじゃないですね。遷宮が終わって、これでやっと僕が好きなように上賀茂神社を撮れるのかなと思っています。また、いつでも行けばいいんだから。桜が咲いたときに桜だけを撮りに行ったりね。

今までは祭事を撮っているから、あんまりよそを見なかった。もしかしたら、これから四季折々の姿、雪の上賀茂神社なんかを撮っているうちに、自分のなかで消化しきれなくなって、写真集にしたいという思いが出てくるかもしれないですね。

文:岡野 幸治