いつかシリアに人々が戻る日を夢見て 安田 菜津紀

インタビュー:2019年12月09日

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

フォトジャーナリスト。東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は岩手県陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。近著は『故郷の味は海をこえて』(安田菜津紀著・写真、ポプラ社)、『シリア 震える橋を渡って──人々は語る』(ウェンディ・パールマン著、安田菜津紀・佐藤慧訳、岩波書店)。NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)副代表理事。J-WAVE『JAM THE WORLD』ニュース・スーパーバイザー、TBSテレビ『サンデーモーニング』コメンテーター。

クルド人の奥ゆかしさと親しみやすさ

フォトジャーナリスト・安田菜津紀さんは、学生時代に初めてシリアを訪れて以来、長く中東を見てきました。近年はシリアやイラク北部に住むクルド人を多く取材しています。どこか日本人と似ているところがあるというクルド人の気質、魅力的な年中行事などについてお話を聞くとともに、ここ数か月のうちにクルド人に起きたことについてもうかがいました。

編集委員

中東では近年、クルド人を多く取材されているとお聞きしています。クルド人は、トルコ、シリア、イラク、イランなどに住み、「国を持たない最大の民族」といわれますが、実際にはどんな方々なのですか。

安田

住んでいる地域によって若干違いがあるのですが、クルドの人たちはちょっと日本人と似ているところがあります。ヨルダンやシリアで出会うアラブ系の人たちは押しが強くて、道を歩いていてもどんどん声をかけてくるのですが、それに比べるとクルドの人たちは奥ゆかしくてシャイです。道ですれ違ってもそのときには何も言わないで、すれ違った後に「ねえ、あれってさ、日本人かな、中国人かな」なんてささやき合っています(笑)。それがいったん仲良くなると、もう壁がなくなって、「俺の家はお前の家だから」という感じになります。とても人情にあつい人たちです。

編集委員

こちらの写真、ケバブを切る男性たちは心から楽しそうですね。

安田

これは2018年3月に8年ぶりにシリアを訪れたときに、最初の朝ごはんを食べさせてもらった食堂です。普通に入っていったら、「どこから来たんだ?」と話しかけられて、「よかったら厨房も見ていけ」「よかったらケバブも食べていけ」ということになりました。朝からケバブ?って思ったんですけど(笑)。そのときに、ああ、この人懐っこさと全力のおもてなしは内戦前にシリアに通っていたころとまったく変わっていないと、胸がいっぱいになりました。

羊市とノウルーズのお祝い

編集委員

こちらの写真の男性たちは、あっけらかんとして底抜けに楽しそうです。遊牧をしているのですか。

安田

これは羊市ですね。毎年3月20日ごろの“ノウルーズ”がクルドの人たちにとってのお正月です。そのお祝い用に羊市を出しているんです。どんなふうに買いに来るのか興味を持って見ていたのですが、皆さん乗用車でやってきます。そして、トランクに羊をすぽっと入れて、バンと蓋をして帰っていく。乗用車のトランクは、ちょうど羊が入るサイズなんですね(笑)。

これがイラクのアクレという町で撮らせていただいたノウルーズの様子です。ノウルーズには、ゾロアスター教の流れが残っているともいわれています。ゾロアスター教といえば拝火教。火を尊ぶ行為自体に意味があるので、トーチを持って町で一番高い山に登ります。


ノウルーズは特別な日です。普段はクルドの人たちから一緒に写真を撮ってもらえますかと言われることは少ないし、撮るときもとても遠慮がちに頼まれます。ですけど、この日、私、いろんな人と2000枚ぐらいセルフィ―を撮っているんです。SNSに「日本人発見!」みたいな感じで写真を上げているんだろうなと思いました(笑)。

シリアからの米軍撤退を受けて起こったこと

編集委員

トルコがシリア北部に侵攻したことで、クルド人が厳しい状況に追い込まれています。この間の流れを少し解説していただけますか。

安田

2011年にシリア内戦が起きました。その過程で力の空白が生じてしまい、そこに過激派組織のイスラム国(IS)のような勢力が入り込みました。アメリカがイスラム国と戦うときに支援したのがクルド人です。そして、クルド人はシリア北部で少しずつ事実上の自治を拡大しました。

ところが、2019年10月にアメリカがシリアからの米軍撤退を宣言しました。その瞬間に、それを待ち構えていたかのように北からトルコが侵攻しました。トルコは人口の1/4をクルド人が占めているといわれています。その中には独立を志向するグループがあり、シリア側のクルド人が力を付けると、トルコ側も刺激を受けることをトルコ政権は恐れているのです。

それに加えて、トルコにはシリアから360万人もの人々が難民として逃れています。トルコ国内では、それだけの難民を受け入れた政府に対する不満の声もあがっています。そこで、トルコはシリア側に攻めいった場所にシリア難民を追い返そうとしています。ただ、その土地は追い返される人たちの故郷とは限りません。残念ながら、どの勢力も難民の人たちの帰還を真摯に考えていないのです。

国外に逃れる人々、国内で避難する人々

編集委員

10月にイラク北部などを取材されていますが、そのときの様子を教えてください。

安田

シリアは人口が2200万人の国でしたが、半数を超える1200万人近くが内戦によって国内外で避難生活を強いられているといわれています。今回の越境攻撃で、一時20万人以上が家を追われました。そのうち半分近くが子どもといわれています。イラクに逃れた人たちもいます。国境を越える許可を得るのはとても難しく、密輸業者に1人400~500ドルを払うことができた人、あるいは何らかの支援につながっていた人たちだけが国境を越えています。


この写真の赤ちゃんはタマラちゃんといいます。生後7日でお母さんのグルビンさんと国境を越えてイラクに逃れました。秘密裏に国境を越えなければならないので、泣きだしたら終わりです。幸い、すやすやと寝ていてくれたから、なんとか無事に国境を越えることができたと、グルビンさんはおっしゃっていました。私が会った時点では、まだ生後15日でした。タマラちゃんの目が見える時期になったときに、その目に映るのが争いや醜いものではないようにと、グルビンさんは願っていました。

編集委員

シリア国内にとどまっている人たちは、どんな生活をしているのですか。

安田

これは学校だった施設に、近所の人たちが毛布などを持ち込んで生活を営んでいる避難所のようなところです。この地域にはもともといくつかのインターナショナルNGOが支援に入っていたのですが、今回の侵攻を受けて一斉に撤退せざるを得なくなりました。それで、近所の人たちが食べ物を持ち寄ったり、貯金を少しずつ取り崩して七輪みたいなものを出してご飯を炊いたりしながら、ぎりぎりの生活をしています。


砂地や丘陵地帯の夜の冷え込みは厳しく、昼との寒暖差に体を合わせていくことだけでも体力を消耗します。まして学校のようなところはもともと居住空間ではないので、隙間風も入るし、石壁自体がすごく冷えたりします。都市によっては電力供給が不安定で、いつでも暖を取れるわけではないので、1月、2月と厳しい時期になっていくのではないかと思います。

構造的な暴力に対して声を上げる

編集委員

2019年8月には佐藤慧さんとの共訳で『シリア 震える橋を渡って──人々は語る』を出版されています。中東を専門とする米国の比較政治学者が、国外に逃れた何十人ものシリア人から聞き取った証言集ですが、この本を読んで初めてなぜシリアが内戦状態になったのか、イスラム国(IS)が台頭した時期に何が起こっていたのかなどを、市民の視点から理解しました。

安田

人々があそこまでの怒りの中で立ち上がったのには理由があります。シリアでは、それまで数十年にわたって、自分で考えていることを発信したり、自分の努力で職業を選んだりという当たり前に生きる権利が奪われてきました。そのことがうまく伝わるといいと思います。この本の最後の方で、政府側、反政府側という立場にかかわらず、理不尽に命が奪われることに対して自分は声を上げる、という女性が出てきます。大きな力の差の中で構造的な暴力が起きるとき、それに対して批判の声を上げることを彼女は表明していて、私は彼女の発言に一番共感しました。


厳しい状況について語っている本ですが、ところどころにシリア人らしいウィットの利かせ方が見え隠れする部分もあります。例えば、「初めてデモに参加した日は、自分の結婚式の日よりも素晴らしい日だったと言ったら、奥さんに1か月も口を利いてもらえませんでした」みたいな話が出てきます。ああ、シリアの人、そういうことを言いそうだなと思います。

シリアは、もともと辛くて苦しい場所ではありません。そこには培われてきた厚みのある文化があり、人好きな人たちがいます。それが伝わらないことにはいくら内戦が収まっても、足を運んでくれる人は限られてくると思います。今回、カルチャーが伝わる写真を多く選んだのも、そういうことがセットで伝わるといいなと考えたからです。いつか平和が訪れて、いろんな人たちが観光でこの地に戻ってきてくれることが、シリアにかかわっているうえでの1つの夢でもあります。

文:岡野 幸治