祇園祭を守る人々の情熱に触れて 薬師 洋行

インタビュー:2015年4月6日

薬師 洋行 Hiroyuki Yakushi

富山県出身。1969年にアルペンスキー・ワールドカップを初めて取材した後、オリンピック、世界選手権など世界トップクラスの競技会でアルペンスキーの撮影を続ける。1972年の札幌オリンピックで組織委員会公式カメラマンを務めた後、2014年ソチまで12回の冬季オリンピックを取材。1993年に雫石で開催された世界選手権では組織委員会報道委員を務めた。自転車のツール・ド・フランス、全英オープンゴルフ、テニスのウィンブルドン選手権など、スキー以外の取材経験も多い。

祇園祭を撮り始めたきっかけ

アルペンスキーの撮影で知られるスポーツ写真家の薬師 洋行氏には、知られざる一面があります。それは2007年から毎年続けている京都・祇園祭の撮影です。専らスポーツをテーマにする薬師氏が、なぜ祇園祭を撮ることになったのか、何にそこまで惹き付けられるのか、その魅力についてお聞きしました。

編集委員

スポーツ以外のものをお撮りになるのは珍しいことではないかと思います。そもそも、どうして祇園祭を撮ることになったのですか。


祇園祭を撮るきっかけになった川塚と「菊水鉾・祇園囃子譜本」

薬師

2007年3月に京都でトリノオリンピックの写真展を開いたのですが、そのときに写真仲間と飲みに行ったんです。京都は、大学時代を過ごしたところなので、友人が多いんです。そこに、大学時代の同級生の川塚がいました。川塚は、祇園祭が開かれる鉾町の真ん中で生まれ育った男で、三十数基ある山鉾の1つ、菊水鉾の中心メンバーです。菊水鉾は彼がいないと動かないと言われているほどで、その頃はちょうど菊水鉾のお囃子を譜本にまとめたところでした。


16年の歳月をかけて採譜した、880ページの「菊水鉾・祇園囃子譜本」

編集委員

祇園祭といえばお囃子が付き物ですが、それ以前には譜本がなかったのですか。

薬師

お囃子は山鉾によって少しずつ違うのですが、菊水鉾の譜本はそのときまでなかったんです。それまでは耳で聴いたものを頼りに練習をしていたそうですが、録音テープが残っていたそうです。それを16年間コツコツと聴き続け、書き起して、約900ページの譜本にまとめたと。その話を聞いて、「そこまでやるなんて、お前アホじゃないかと」(笑)。そんな冗談を言いながらも、彼の情熱に触れて祇園祭を撮影したいと考えました。それで、川塚と、日本広告写真家協会(APA)の会員で商品撮影などで活躍している写真家の井上博義さんと3人で撮影することになりました。

知れば知るほど撮影対象が増える

編集委員

ニュース番組で祇園祭が取り上げられるのは、たいてい山鉾巡行です。個性あふれるたくさんの山鉾が都大路を進んで、それは見事ですね。

薬師

たしかに祇園祭というと山鉾巡行が有名ですが、祇園祭では、7月の1ヶ月間、京都の鉾町のあちこちでいろんな行事が行われています。写真展や出版物を通じて、その全体像を多くの人に知ってもらいたいと考えました。その頃は祭全体を紹介するガイドブックが少なくて、まずはスケジュール調べから始めました。川塚にしても、自分のところの鉾の段取りは熟知しているけれど、他の鉾がいつ何をやっているかまではよく分からない。そのあたりは井上さんが詳しく調べてくれました。そして、知り合いの伝手をたどって行事の主催者を訪ねて撮影許可をもらいました。

編集委員

撮影がここまで長く続いているのは、知れば知るほど記録に残したい場面が出てきたということですか。

薬師

そうですね。最初は行事を順番に撮っていったのですが、撮っているうちに、その行事の裏側にはどんなことがあるか少しずつ分かってきます。次の年にそれを掘り下げて撮っていくと、7、8年はあっという間に経ちました。

祇園祭の知られざる魅力

編集委員

多くの人が知らない祇園祭の行事には、どんなものがありますか。

薬師

まずは、二階囃子ですね。二階囃子というのは、昔ながらの町家の二階でやっているお囃子の練習です。6月から7月初旬、夕方になると、あちこちからお囃子の音が聞こえてきます。町家にはクーラーが付いていないので窓から音もよく聞こえるし、浴衣姿の人たちが笛を吹いたり、鉦(かね)を鳴らして練習している風景がよく見えます。子どもは、最初は鉦方(かねかた)になります。いきなり打てるようにはならないので、まずは大人が後ろについて、子どもの手を持って練習させるんです。何年もかかって笛、太鼓と昇格していきます。

編集委員

山鉾は「動く美術館」と形容されることもあるくらい、装飾が見事ですね。

薬師

山鉾の側面にかけられた前懸、胴懸などのタペストリーは国際色豊かで、もともとは中国、インド、トルコ、ベルギーなどから輸入したものです。著名な日本画家のものがかけられている鉾もあります。夜店で賑わう宵山のときは雨が降るかもしれないのでビニールがかかっていますが、曳き初めの時ならビニールがかかっていない状態でちゃんと見ることができます。曳き初めは、山鉾を組み立てた後で山鉾を試し曳く行事で、一般の人も曳くことができますよ。曳き綱を曳けば一年間の厄除けになると言われています。

狙ったイメージを撮るために

編集委員

山鉾巡行は、古式に則った儀式がいろいろあって興味深いです。

薬師

7月2日に巡行の順番を決める「鬮取式」(くじとりしき)が京都市役所で行われます。17日の巡行では、四条通を半分くらい来たところで、「鬮改め」(くじあらため)があります。鬮取式で引いた紙を奉行に見せて、順番が間違っていないか確認するのです。奉行役は京都市長です。長刀鉾は巡行の先頭を往き、「注連縄きり」も行いますね。

編集委員

巡行での見どころは、やはり「辻回し」ですか。

薬師

そうですね。山鉾の車輪は方向を変えられないので、交差点では引き綱を横方向に引っ張って向きを変えます。「ささら」という割竹をきれいに敷いて、それに水をかけて滑りやすくします。山鉾の車輪がその上に乗ったところで音頭取りのかけ声に合わせて、曳き子が引き綱を曳いて回します。少ない回数で一気に回ればいいかというと、それでは車輪が傷むのでよくないそうです。3〜5回が理想と言われています。

編集委員

辻回しでできた水たまりに山鉾が映った写真が印象的です。こういう作品は、やはり前々から撮影のチャンスを狙っているのですか。

薬師

作品のイメージはもちろん持っていたのですが、水たまりができるようなちょうどいい窪地があるとは限りません。いい形じゃないといけないから、そんなに簡単ではないんですよ。

編集委員

広角レンズを使って、遠景まで収めた写真もとても印象に残ります。

薬師

どのレンズを持つかは難しいところではあります。望遠レンズを持つと鉾の先まで入らない。全体を入れたいということで広角レンズを持つと、祭にそぐわない建物や看板が入ったりします。ただ、2014年の祇園祭の後で、京都に景観条例が施行されたので、いまは大きな看板は相当減ったはずです。

祇園祭はスポーツイベントと同じ


菊水鉾で唯一の親子三代の囃子方、大森家のみんな

編集委員

祇園祭を長く撮り続けてきて、どんなことをお感じになりますか。

薬師

やはり、続けるのは大変だな、ということですね。田舎で過疎化が進んでいるように、都会でも過疎化が進んでいます。たとえば、菊水鉾でも町内に住んでいる鉾関係者は少なく、多くの人が外に出て行っています。そういう人たちが週末ごとに戻ってきて、お祭の準備を進めています。そこまでして続けるのは、町内の人の意地かもしれないし、祇園祭をやっているという誇りかもしれません。そういう心意気がなければたぶん続けていけないでしょう。そうやって祭を守っている人たちがいることが撮影を続ける理由の1つでもあります。


巡行後の記念写真

編集委員

これまで好んでスポーツの世界を題材に選んでこられたのに、どうして祇園祭だけが特別な撮影対象になり得たのですか。

薬師

いや、祇園祭もオリンピックに行くのも一緒です。僕は、祇園祭を1つのスポーツイベントのように考えています。オリンピックで開会式があり、各地でいろいろな競技が行われるように、祇園祭の儀式にもイベント性があります。

編集委員

それでは、祇園祭を撮ることが、スポーツ撮影に影響を与えることはあるのですか。

薬師

それは全然ないですね。それよりも、僕は写真を撮ること自体が、スポーツだと思っています。祇園祭は、スポーツと違って動きは遅いのですが、中途半端な気持ちでは撮影できません。しかも、その瞬間は1回限り。その瞬間を撮るために集中することは、スポーツと同じだと思っています。

文:岡野 幸治